人の話を聞いて、あるいは何かしらのきっかけで、ふとした瞬間に自分の価値観が変わることはたびたびあると思います。
私も何度かこの変化を経験して、それが得難いもので、大事なことだとわかるようになりました。
そういう意味で、私にとって梅田先生の授業は得難くて大事な経験であったと思います。
非常に視野が広く、英語の領域に縛られない立場からの授業は、毎回刺激的なものでした。
英語の理解に始まり、英語に対する考え方、科学の常識、果ては自分の将来にまで考えが及ぶようになり、とても大きな影響を受けました。
暗記よりも上の視点を教えてくれた
私が梅田先生の授業を初めて受けたのは、高校一年生になる前の春休みでした。
授業中の先生の語りを聞いて、私はすぐにこれまでの英語の授業とは違うと感じました。
同時に、今まさに自分が受けるべき授業だと感じたのです。
そういうわけで、大学受験までの約三年間、先生の授業を受ける事にしたのです。
高校受験までの私の英語の学習は文法と量に重点を置いたものでした。
文法については多数の例文を空で言えるように暗記し、あとはひたすら大量の英文に触れる。
英語の成績も悪くなく、確実に身につく英語の勉強が楽しく感じるくらいには順調でした。
この勉強法は私の英語力を確かに高めてくれましたが、先生の授業はそれより上の視点に立って英語を扱います。
たとえば英語という言語の論理構造を知ることで、文章を読んでいると話の流れや文脈といったものが自然と掴めるようになりました。
書き手の意図や考え、科学的な前提知識がわかるとより深く理解できるようになります。
そのため、単語や文法だけでなく、文章から書き手の意図を読み取る方法、科学の考え方、科学の常識といった題材を扱います。
また単語や文法の基礎的な学習も、書き手の意図を読み取るという目標のためにシンプルかつより本質的な理解で進められるので、深い理解を伴うようになりました。
英語だけでなく自分自身も開拓
先生の授業の特徴はもう一つあります。
それは英語の世界だけでなく自分自身の開拓にも注力することです。
授業では問題をまずは自力で解いた後、生徒同士でグループを作って意見を出し合い、答えをまとめます。
自分の考えを言語化し、他人の意見を聞く、相手を納得させたり逆に納得させられたり。
こうしたやり取りの中で、相手を知り、自分を知り、お互いを個として尊重するようになり、主体性をもって授業に臨むようになります。
つまり、授業の中で自分はこういう人間なんだ、と主張して良いわけです。
だから、お腹がすいていたらご飯を食べていてもいいし、気分転換に席を移動してもいい。
私が覚えているのは、授業中に趣味の折り紙の紹介をさせてもらったことです。
こんな感じで、先生の授業は一言で言ってしまえば自由です。
でも決して無責任な自由ではなくて、生徒一人ひとりの個性を大事にするための自由なんです。
息苦しさのないのびのびとした授業は、忙しい高校生活の息抜きにも感じられるほど良い時間だったと思います。
先生は授業だけでなく面談でも、自分が何をしたいかということを大事にしていました。
だから、進路に関しても大学に行くことの選択から始まります。
私の場合、なぜ大学に行くのか、大学に行って何をしたいのか、と問われたときにものすごく悩みました。
何か他のことをしたかったわけでもなく、周りに流されるように決めていたため、理由が何も思い付かなかったからです。
いろいろ考えて悩んだあげく、大学で多くの分野に触れて自分のやりたいことを見つける、というふうに考えることにしました。
結局何もわからないままじゃないかと言われるとその通りなのですが、大学三年生の今思い返すと、悩んだ過程に意味があると思います。
私は理系で受験しましたが、こうした目標を持っていたことで、大学に入ってからは文理関わらず興味を持った講義を積極的にとるようにしています。
自分がどうしたいかをよく考える
梅田先生と出会って得た価値観とはひとことで言ってしまえば、英語や勉強は手段で自分の望みを叶えるのが目的だ、という考えです。
学校生活や受験勉強で忙しくしていると、自分でも気づかないうちに目的を忘れ、手段が目的に成り代わってしまいます。
確固たる自分を持ち、自分がどうしたいかよく考える。
今でも大事な教訓として心に留めています。