・早稲田アカデミー大学受験部 教務主任
・アクティブラーニング型授業 Raffa 代表講師
・東大&医学部専門塾 Quest 講師
・5つの高校の講師
・総合型推薦型選抜専門・受験マネジメントサロンBiden<バイデン> 代表(授業など全てを担当)
・学びの道教育研究所 顧問
・みんぐるまんぐるミーティング 運営メンバー兼ファシリテーター
・日大豊山女子高校 特別進学クラス 講師
・桐原書店 森のコミュニティ社外筆者
しかし長年続けていくにつれて、「はたしてこれは本当に自分がやりたかったことなのか」と疑問を抱くようになる。そして、合格実績や受講者数などの目に見える成果を出すことに躍起になっていて、「世の中に変容をもたらすような人間を育てたい」という自身の夢の実現にまったく近づけていないことに気づく。
自分のやろうとしていることは、「膨大な知識」を詰め込むとともに「忍耐力」「従順性」を育む従来の紋切型の教育システムでは難しい。高度情報化・グローバル化が進んでいく「固定された正解のない」現代社会で必要なのは、「創造的思考力」「判断力」「表現力」を鍛え、そして「主体性」「協働性」を育み、自律した個を育てていく教育だと思い始め、会社を退社。
こんにちは梅田です。
このたびは当ホームページにお越しくださりありがとうございます。
ここでは、私が今の活動をするに至った経緯を軸に、簡単な自己紹介をすることにします。
固定された価値観に違和感を抱く幼少期
友達や近所の子供たちと空き地や公園で暗くなるまで遊んだり、家でテレビゲームに没頭したり・・・
そんな一見ごく普通な幼少期を送っていました。
ただそんな見かけとは裏腹に、心の中ではいろいろな思いが渦巻いていました。
幼稚園生の頃はアンパンマンの「バイキンマン」が好きだったり、
小学生の頃は三国志のよく悪役で描かれていた「曹操」にあこがれたりと、
と周囲の固定された価値観に対して常に疑問に思っていました。
そのような中、決定的な事件が起こります。
小学生のころ学校か塾かは忘れてしまいましたが、国語のテストでのことです。傍線部があり「この時の登場人物の心情を述べよ」といったような問題がありました(ありふれた設問なのですが・・・)。
それに対して私はふざける気持ちとかは一切なく真面目な気持ちで正直に思ったことを解答欄に書きました。
「私はその人ではないのでわかりません」
すると、あとで先生に呼び出されこっぴどく怒られたのです。「真面目にやれ」と。
その時の心への衝撃。今でも忘れられません。涙が止まらなかったのを今でも鮮明に覚えています。
私だって先生が望んでいる「正解」はわかっていました。それでも自分が思っている「正解」を一度正直に書いてみようと思ったのです。
「他者の考えやキモチなんて簡単に理解することはできない。自分自身の考えやキモチだって把握するのは難しいのに・・・」
そして落ち着いたあとに子供ながらにわかってしまいました。
「ああ、ここでは相手の望むことをするってことが『正しい』ってことなのか・・・」
様々な違和感、絶望感を抱えつつも時は過ぎていき、その後、親の勧めで中学受験に臨むことになります。
「よい」中学に入れば「よい」大学に行くことができ、最終的に「よい」企業に就職できるという既成の枠組みに違和感や反発を感じつつも、それに抗えずに流されている。そこにはそんな自分がいました。
受験の結果は、第1志望校であった有数の進学校である国立の筑波大学附属中学校に合格し進学することとなります。
しかし…
周囲の常識や既成の枠組みに対する違和感。
小さな世界しか知らぬ己の判断に対する不安。
高校を卒業する頃になってもこういった気持ちは解消されず、有名大学へ進学していく同級生を尻目に、結局大学へは進学しないことになります。
このとき、はじめて既成の枠組みから外れた道を進むこととなるのです。
多様な人との出会いが、生きる目的を創出してくれた
既成の枠組みから外れてみるも、だからといって積極的に「これがやりたい!」ってものはありませんでした。
ですので高校卒業後の数年間は、築地市場やカラオケ店などで働いたりと様々なアルバイトをしながら、海外や国内の色々な場所を訪れたり、かと思えば家に引きこもって読書三昧の生活を送ったり、時には周囲に合わせて勉強してみたり・・・と自由気のままに過ごすことになります。
ただ、こういった生活を送っていると様々な人たちとの出会いがありました。
● 信念があってDJと介護士を兼業しているお兄さん
● 戦争経験を生々しく語ってくれたとある農村のおじいさん
●「あたりまえ」というものが存在しないと実感させてくれたサウジアラビア人etc…
多様な人たちと出会うことで、自己の世界が拡張され自分自身も大きく変容していっているのが実感できました。
その結果、人や社会に最も影響を与えるのは「人」だということに気づくことになります。
社会に対して違和感を持ち落胆するばかりではなく、能動的に自分でより良い社会にしていく。
そのために、「より良い社会への変容を導くような人間を育てていく。」おぼろげながらも生きる目的ができたのです。
その瞬間、世界の「傍観者」から世界の「当事者」へ。大学を経て教育の世界へ足を踏み入れることとなります。
大手学習塾に専任講師として入社
入社数年で高い合格実績を実現し、看板講師へ
大学卒業後、現在のように「塾・学校の講師」や「大学受験コーディネーター」としてフリーで活動を始めたかと思いきや、まずは大手学習塾に入社し「専任講師」として活動を始めます。
・教室で高校生に対して集団授業を行ったり…
・最新の大学入試問題を分析したり…
・それに基づき教材を研究&作成したり…
・生徒やその保護者とカウンセリングをして進路指導を行ったり…
・生徒の勉強状況や成績を管理したり…
・保護者会などのイベントを実施、運営したり…
・営業活動を行ったり…
このように講師として授業をする一方で、予備校などでは講師が決してすることのない「チューター業務」や「校舎運営」といったこともあわせて行う職種でした。
そんな当時の専任講師の仕事には多忙を極めました(実際、離職率が非常に高い職種でした)。
しかし、多くの専任講師がやめていく中でも、私は仕事に対して特に不満を抱いていたということはありませんでした。むしろ不満を感じるどころか、大きなやりがいを感じて仕事に取り組んでいました。
そのやりがいを引き出していた要因は様々です。
専任講師を始めた当初は、まずは「一流の大学受験講師になる」ことを目標として設定しました。
当初は教育に中心は「授業」であると考えていましたし、この仕事の中心である「授業」で抜きんでた結果を周りに示し力をつければ、自分のやりたいことをやらせてもらえるようになると考えたからです。
ゆえに、多岐にわたる仕事の中でも特に「生徒の成績を上げて志望校に合格させる」ことに意識を集中して仕事に取り組み始めました。授業研究、教材研究、大学入試問題分析と、寝る間も惜しんで打ち込みました。(気づけば朝になっているということもよくありました…)
その結果、入社3年という異例のスピードで東大、早稲田大、慶應義塾大等のいわゆる最難関といわれている大学の合格者を多数輩出するようになり、その塾の看板講座である早慶大特別講座を任されるようになりました。
そこから長年その塾の合格実績を中心となって牽引することとなります。
「多くの生徒を志望大学に合格させる一流の塾講師になる」
その目標達成に向かって順調に進んでいっているという実感。結果を出し、自己のスキルや能力が向上しているという実感。それらの実感から得られる大きな自信。こういった実感や自信が、仕事へのやりがいを感じさせる大きな要因の1つでした。
「授業評価アンケート全講師中第1位」
自己のスキルと能力の向上に伴って、塾全校舎で実施される授業評価アンケートでは全講師の中で常に上位に位置するようになっていました。1位を獲得した際に表彰を受けたのですが、目に見える結果を得てさらなるやりがいを持って仕事にあたっていくこととなります。
さらに…
「先生の授業で人生観変わりました!」
「先生のおかげで合格できました!」
多くの生徒やその保護者からこのような言葉をいただくようになっていました。中にはご丁寧にお手紙まで書いて感謝の気持ちを伝えてくれる方もいました。
誰かの役に立てている、必要とされていると実感することができ、純粋にとてもうれしかったです。
そういった感情が「もっと頑張ろう!」「生徒のためにもっとやってやろう!」という情熱に繋がっていきました。
◎「高い合格実績」「授業評価アンケート第1位」「『早慶大特別講座』といった看板講座を任される」等の目に見える結果を出す⇒ 自己の成長の実感と大きな自信
◎ 結果を出すことで生徒や保護者から感謝される⇒「誰かの役に立てている、必要とされている」という喜び
以上のようなことを要因として、大きなやりがいを感じながら専任講師という仕事に邁進してゆくのでした。すると、そのやりがいを胸に仕事を邁進した結果「講師業」以外の部分でも結果が出始めます。
◎ 「進路指導カウンセリング」:1カ月以上先まで予約で埋まる⇒ 学習塾でありがちな一方的な押しつけの進路指導からは一切手を引く。「社会のニーズ」「家族の想い」を加味した上で「自分のウォンツ(顕在化していない欲求)」を探ってもらう、生徒1人ひとりの「自分軸」の構築から始めるの新しいカタチの進路指導を考案。
◎ 「職員目線」から「生徒目線」の校舎運営へ:生徒数過去最大の校舎へと成長⇒
職員が楽をするためのシステム構築ではなく、生徒にとって何が大切なのかを第1に考え、「イベント企画」「成績・勉強管理システムの構築」などを進める。
このように幸運にも様々な領域で結果を出すことができ、当時最大規模であった校舎の教務部門を統括する「教務主任」に拝命されます。仕事における自由裁量の領域が広がり、ますますやりがいを感じながら仕事に邁進することとなります。
順風満帆な講師生活。しかし、心の奥底では・・・
はたから見れば順風満帆な専任講師生活。
しかし、目に見える成果を出していけば出していくほど、やりがいを感じつつも同時にモヤモヤとした気持ちも膨らんでいきました。
「はたしてこれは本当に自分がやりたかったことなのか」
ついには精神的に困憊し、限界を超えてしまったのか身体をも壊してしまいます。
しばらくの間会社から休暇を頂いたのでゆっくりと自分を見つめなおしてみます。
すると、合格実績や受講者数などの目に見える成果を出していくことに充実感を感じ、本当にやりたかったことが全然できていない自分に気がつきました。
充実感を感じつつもイマイチ満足しきれないのも当然のことでした。
◎「自分の頭で考え自分の意思で前へ進んでいける『真に自律した』ゆるぎない個を育てたい」
よくよく考えてみると自分が本当にやりたいと思っていることは、「膨大な知識」を詰め込むとともに「忍耐力」「従順性」を育む従来の紋切型の教育システムでは難しいと気がつきます。
高度情報化(情報の民主化)・グローバル化が進んでいく「固定された正解のない」現代社会において、社会をよりよく変容していくには、「創造的思考力」「判断力」「表現力」を鍛え、そして「主体性」「協働性」を育み、自律した個を育てていく教育が必要だと考え始めます。
その実践のためには従来の教育システムや教授法をドラスティックに改革する必要があると考え、思い切って会社を退社する決断をしたのです。
そして、「既存の教育システム」「既存の授業ルール」には縛られない活動の場を模索することになります。
「アクティブ・ラーニング」との出会い
大手学習塾を退社した私は、フリーの講師として活動を始めます。講師や授業への縛りがあまりなく、比較的自由に活動できる塾や予備校で教鞭をとることとなります。
「社会のよりよい変容を導く人間を育てたい」
「自分の頭で考え自分の意思で前へ進んでいける『真に自律した』ゆるぎない個を育てたい」
この自分の夢を実現するにはどうすればいいのか?時間をかけて教授法や教育システムについて色々と調べ、実践を通して試行錯誤していくことにしました。
そんな中、友人だった講師仲間から「アクティブ・ラーニング」という授業形態を耳にします。
「アクティブ・ラーニング」とは、ハーバード、スタンフォード、MITなどで実証されている学力向上の手法であり、一方的に講師の話を聴きノートを取るだけの従来の講義形式ではなく、生徒1人ひとりが能動的・主体的に参加できる授業形態とのことでした。文部科学省も導入を強く進めており、当時は学校で導入の動きががあるものの様々な理由から中々うまく進んでいないという状況でした。
従来の一方的な詰め込み教育では、「a useful machine(役に立つ機械)」や「a well-trained dog(よく調教された犬)」(これらの言葉は、1952年10月5日に掲載されたアインシュタインのニューヨークタイムズへの一通の投書の中に出てくる言葉です。)のような人間を育てることはできても、「自律した個」は育たないと考えていたので、そこに大きな可能性を感じました。
さっそく「アクティブ・ラーニング」を中心とした授業体制の構築を始めることになります。
既存の課題を乗り越え、独自のプログラムに昇華!
もちろん、従来のアクティブ・ラーニングにも一定の課題は存在します。そしてそれだけでは、私が実現できることにも限界が出てきます。
すでにこの頃からその壁の存在に気づいていた私は、新たな塾の環境の中で、その課題を克服すべく試行錯誤を重ねていきました。
「既存の授業形態や教室空間の中でアクティブ・ラーニングのメリットをフルに活用するにはどうすればいいのか?」
「生徒の主体性を効果的にに引き出すには、教室空間以外でのアプローチも必要なのではないか?」
そのようなことを日々考え、昼夜を通してさまざま模索していったのです。
そして紆余曲折を経て現在では、既存のシステムを全て放棄して一から独善的なものを作り上げるのではなく、既存のシステムを一部拡張し、そこに新たなプログラムを付加して組み合わせることで、これまでにない新しい教育体制を確立するに至りました。
既存のシステムと新たな考案、そして時代性が適合し、それらを高次元に昇華させることで確立したそのプログラムは、「ラーニング・マネジメント」と「梅田流ブレンディッド・ラーニング」を軸に構成されています。
(アクティブ・ラーニングの具体的課題や、それを克服した「ラーニング・マネジメント」と「梅田流ブレンディッド・ラーニング」の詳細についてはこちらの記事をご覧ください)
そしてそれ以降、この新しい教育プログラムを軸に自律した個の育成にいそしむとともに、常にプログラム改善・開発を進めているのです。
ようやくスタート地点に
以上のような経緯で、私は現在に至ります。
今では、生徒1人ひとりが自律した個を確立していきながら大学に合格できる、そして合格のその先にあるそれぞれの可能性に挑戦していける、そのような「場」が構築できていると確信しています。
実際、2019年度入試では生徒たちが以下のような大学に合格していきました。
現役生23名+既卒生3名特待生度なしの無選抜でこの結果は、日本国内探しても中々ないんじゃないかと思います。
東京大学[理科Ⅰ類] 1名
北海道大学[工学部] 1名
東北大学[工学部] 1名
東京工業大学[物理工学院] 1名
慶應義塾大学[文学部] 2名
東京理科大学[工学部]1名[理工学部]1名[経営学部]1名 計3名
聖マリアンナ医科大学 1名
チェコ国立マサリク大学[医学部予備コース] 1名
明治大学[商学部]1名[文学部]1名[国際日本学部]1名[農学部]1名 計4名
青山学院大学[総合文化政策学部]1名[社会情報学部]1名 計2名
立教大学[コミュニティ福祉学部]1名[社会学部]1名[文学部]1名 計3名
中央大学[経済学部] 1名
法政大学[キャリアデザイン学部]1名[経済学部]1名 計2名
その他多数
常識的に考えたらあり得ない結果だとは思いますが、それは常識にとらわれずにやったからこそだと思っています。
生徒たちに対しても受験勉強以前に「固定観念を崩す」ところから始めてもらうことにしています。
それは「志望校に合格する」という塾としては当たり前の領域すら疑うことにまで及びます。
「なぜその大学に通わなければならないのか」
そしてその後は、いちいち自分の頭で考え、常に自分で判断してもらう中で受験生活を送ってもらいます。私から一方的に命じたり押し付けたりすることは一切ありません。
実際、受験生活を直接受け持った生徒たちからは、
といった感想を頂けるようにもなりました。(くわしくは「生徒の声」をご覧ください。)
しかし、私が提供していることは人によっては「幸せ」でないかもしれません。
自分で考えるというのはけっこう大変ですから。
それでも私はこれをやりたい。
これが私の「正しさ」ですから。
このように、ここにきてようやく本当の意味で始めることができたと思っています。
幼き頃から感じていた違和感に対して行動をおこすということを。
自分の本当にやりたかったことを。
≪幼き頃から感じていた違和感≫
◎ 他者から与えられる絶対的な正しさ・固定された価値観⇒ そんなものはあり得ない。ぶっ壊す。⇒ 無責任な他者に躍らせれないためにも、自分で「正しさ」や「価値」を判断していくための「自分軸」を構築してもらう。(よくよく自分の頭で考えてみると、大学にはいかない方が自分の夢を実現できることに気づいたという生徒もいました。もはや「とりあえず偏差値の高い大学を目指す」という時代でもないでしょう。)
↓
≪本当にやりたいこと≫
◎ 高度情報化(情報の民主化)・グローバル化が進んでいく「固定された正解が存在しない」現代社会において、社会をよりよく変容していくために「創造的思考力」「判断力」「表現力」を鍛え、そして「主体性」「協働性」を育み、自律した個を確立してもらう。
もちろん大学受験に合格することに対しても、どこにも負けないようなシステムを構築します。そして、目標達成に向けて一緒に取り組んでいってもらいます。
だとしても、合格のその先を見据え、自律した個の確立を目指すことは大前提です。
そんなことはやってられないというのであれば、従来の塾や予備校あるいは別の手段で大学受験に臨むことをお勧めします。世の中には数多の塾・予備校・映像授業などがあり、自由に自分で選択することができるのですから・・・
自分が主人公の大学受験
私は今後「1人ひとりが自律した個を確立する、その上で大学受験に臨む。」そんな教育をより広範囲でしていこうと考えています。
これまでの首都圏の狭い範囲での活動を、インターネットを駆使して地理的に限定されずに全国の子供たちに対して行っていきたいのです。
そのような中だからこそ、確固たる「自分軸」を構築し、その「自分軸」に基づき自分の頭で判断し変化に対応していく。そのようなことができる個人を全国で増やしていく。
そういった活動を通して日本社会のより良い変容を導いていけたら…それが私の活動目標です。
その目標達成の第一歩として、
目の前の大学受験だけを見て近視眼的になるのではなく、大学受験を壮大な人生の1つのプロセスと捉える。
「本当は何がしたいのか」
「なんのために大学へ行くのか」
Where are you going?
そうすることで、個々人が自分にとって本当の幸福へとつながる進路を自分で設定していくことができるようになる。周囲の憶測の評論なんかに惑わされることなく。
そして、誰一人として同じではないその人の「進路」「環境」「趣向」を加味した上で、これまた誰一人として同じにはならないはずの大学受験生活をその人にとって最適なものとして一緒に創り上げていく。
これが、今現在私が最優先で活動している内容です。
「志望校への合格」そこがゴールなのではなく、壮大な人生のプロセスとして、1人ひとりが自分なりの「価値」を生み出す手段として捉える。そして将来、そういった各々の「価値」がぶつかり合い結びつき、社会により良い変容をもたらしていく。私はそうなっていくと確信しています。
もちろん大学受験業界の中では異質ですので、口さがない人たちからは「そんな無駄なことなんてやってないで、生徒の合格だけ考えろよ」などと陰口をたたかれたこともありました。
しかし、生徒の「志望校への合格」を考えてこそ、この方法に至ったのです。
1人ひとり異なる個人である生徒に対して、画一的に一方的に押し付けていくことこそ非効率にしか思えませんでしたから。それはこれまでの実績が示してくれています。(ただし、合格実績を積み上げることに躍起になって、それが生徒の幸福を損なうようなことのないよう常に注意していきたいです。)
そして、根気強く活動していると、生徒や保護者以外でも共感してくれる塾・予備校講師や教育関係者、はたまたまったく異なる業界の方と出会うようになってきました。
現在ではそういった方たちとの連携も視野に入っており、私の夢の実現も現実味を帯びてきていると感じるようになりました。
私は、今後もこのミッションを一貫して遂行していきます。
「何をどう勉強していいのかわからない」
「進路をどうやって決めればいいかわからない」
「今やっていることが正しいか不安」
あなたが今このように、大学受験に向けて不安を抱えていたり、一方的に色々と押し付けられたりしていて現状の大学受験生活に不満を持っていたりするのであれば、ぜひ私が立ち上げた「受験マネジメントサロンBiden<バイデン>」にお気軽にお問い合わせください。
あなたも「他者とは異なる唯一絶対の自己を創出していく中で、能動的に大学受験を考え、大学受験を乗り越えていく」ことで、自分らしさを見失わずに今後の人生を歩むことができます。
大学受験のその先へ。自分の本当にしたいことを探り、自分の可能性を感じ解き放つ。
そして、自分にとってのシアワセを実現させる。そのために大学への合格を目指す。当たり前のようで当たり前ではない、誰のものでもない自分自身のための自分が主人公の受験生活を送れるようになるのです。