人生で、ましてや短い学生生活のうちに“恩師”と呼べる人に出会える人はそう多くはないのではないでしょうか。
しかし、梅田先生は紛れもなく私の恩師です。
梅田先生は、英語の先生です。
私と先生との出会いも、学校の成績が振るわずなんとなく近所の塾の英語の授業を受けてみたことが始まりでした。
しかし次第に私は、単に英語を学ぶということをはるかに超えて、先生が与えてくれる刺激的な時間を体験するために授業を受け続けるようになっていったのです。
以下に私なりの梅田先生の紹介をしますが、これを読まずとも、実際に先生に会って話してみることが一番です。
一度お話しすれば、何か強い印象を受けることと思います。
この時代に“絶対”は存在しないということ、私たちが“普通”だと思っていることを当たり前のこととして受動的に選択することには意味がない、ということを鮮烈なフレーズで、論理的に教えてくれます。
そして、目の前の受験を超えてひとりひとりがどのような人生のミッションをもって生きていくか、そのために何が必要なのかを一緒に考えながら指導して下さるのです。
このように常に縛られない価値観を与えてくださり、単なる塾の先生ではなく“教育者”としてひとりひとりを見てくださる先生との時間は、とても刺激的なものでした。 [合理的で感覚的に英語が”分かる”] では、肝心の英語についてですが、先生は「覚えることを極力減らす」ことを掲げています。
先生に出会うまで私は、日本人の私たちからすれば一見意味のなさそうな文法のルールをやみくもに丸暗記するような指導・教科書にしか出会ったことがありませんでした。
しかしそうしたルールの由来や、共通する法則を教わることで、「暗記英語」ではなく、生きた言葉として感覚的に理解できるようになるのです。
長文読解に関しても、英語と言う言語の文章構造・論文の展開の型から教わるため、それに則ればどのような文章でも、一字一句全てを読まずとも自分で内容が予測できるようにすらなってしまいました。 [英語の勉強を超えた、人としての学び] 最大の特徴は、扱う文章を通して、そのテーマの根底にある背景知識を重点的に解説してくださることでしょう。
そのお陰で、新たに出会う文章でも、その分野に関する知識を身につけていればすんなり理解が出来るようになります。
そしてそれ以上に、単なる一つの入試問題としてではなく、まるで読書をしているような感覚で文章と向き合うことができます。
経済・社会・哲学・医療など様々なテーマに関して歴史的背景から現在に続く問題までを知ることができる先生の授業は、私にとって知的好奇心をくすぐられるとても楽しい時間でした。
英語の勉強を超えた教養を身につけられる授業なのです。
私は高校時代の2年間、先生の授業を受けましたが、医学部受験を志した浪人1年間のうち、英語の勉強はほぼしませんでした。
心から先生の授業を楽しんでいるうちに、確固とした実力がついていたのです。
英語が苦手な方も、得意な方も、きっと新しい英語との向き合い方を見出せます。
そして、やりたいことが明確にある人も、何をやりたいか分からないという人も、
先生との対話の中できっと何か新しい発見があるでしょう。