霍田真麻 慶應義塾大学[文学部]

梅を得て桜を見る

春の花と云われて最初に思い浮かぶのは、おそらく桜かと思われます。薄桃色の花々が一つの大きな木を彩る様は、古くから日本人に親しまれてきたのが納得できるほど美しく、私も毎年満開の桜には思わず感嘆の息を漏らしてしまいます。かの藤原頼通も「春は桜が第一」と話していますから。ですが、その一方で歌人の藤原公任は頼通公に次のように反論したそうです。「なほ春の曙に紅梅の艶色捨てられがたし」。なるほど、春の訪れには梅も桜も欠かせないらしい。今の私にとって大変的を得た言葉であります。本日は私が梅を得て桜を見るまでの軌跡をお伝えできたらと思います。

梅に出会う

私が初めて梅田さんにお会いしたのは高校3年生の5月下旬、妹の紹介でした。そのため、私は他の先輩方が書かれているような感動的な出会いをしたわけでも大きな衝撃を受けたわけでもありません。さらに云うのならば、私は入会するまで一度も梅田さんの授業を受けたことはありませんでした。ですが、初めてお会いしたときに「この人は今この瞬間を楽しんでいるな」という漠然とした印象を抱きました。自分がなさっていることにとても生き甲斐を感じているようだったのです。そして私は自身の経験を踏まえても、この人はきっと芯を持った素晴らしい方であり、私はこの場所で成長できるに違いないと思いました。加えて梅田さんの理念や方針に惹かれると共に、カリキュラムやLINEでの進捗報告などの徹底的なコーチングが自分に甘い私にとってとても合っていると感じました。そんなこんなで入会することを決めたのが高校3年生の6月。受験生としてはだいぶ遅めのスタートだったと思います。

過去に目を

私の授業では一般的に推薦入試で必要とされる小論文だけでなく、英語も行なっていました。というのも、推薦入試は大学とのマッチングであるため、もし大学側との考えが合わなかった場合は合格が遠のいてしまうからです。よって一般入試も見据えた上で、私は不得意かつ自分だけでは捗らない英語を基礎見直しも含めて授業してもらっていました。このようにBidenは推薦と一般のどちらかに特化しているのではなく、両方とも不足なく見てもらえる点も強みなのではないかと思います。

英語は他の先輩方が書かれているので私の文章では割愛させていただきますが、高校1年生のときに出会えていればと惜しささえ感じるほど、論理的でかつ単純化された英語の難しさを全く感じさせない授業が展開されており、本当に衝撃を受けました。

一方の小論文は、私自身が文章を書くのが好きだったこともあり一回一回がとても有意義な授業でした。初めから文章を書くのではなく、まずは土台をきちんと作るための授業から入り、並行して志望理由書などの書類の準備のために自分史で自身の人生の振り返りも行いました。梅田さんは取るに足らないようなどんなに小さい疑問でさえ見逃してくれず、答えられるまではとことん待つ、そんな人です。だからこそ今までやってきたこと一つひとつにきちんとフォーカスするようになり、自分の中できちんと整理されたような気がします。自分史は書類作成の下準備という役割を担っていますが、私にとっては過去にやったという事実だけを並べるのではなく、言葉にして丁寧に整理していくことで以前より自分の人生がとても尊いもののように思えるようになりました。だからこそ志望理由書の方でもより深いものが書けたと実感しています。小論文の授業の方に話を戻すと、梅田さんの授業ではただ書いて添削をしてだけでなく、その分野の予備知識や背景も教えてくれましたので、その物事や問題についてもう一度深く考えるきっかけにもなりました。また、慶應義塾大学の自主応募制推薦に特化した授業ということもあり、教わった要所要所のポイントや考えの持って行き方は実際に入試でも活用することができて、これらが確実に合格へとつながったのだと感じています。

入試対策は机に向かうだけじゃない

また一方で授業以外にも、外部の中学生、高校生、大学生社会人の人たちと最近ワクワクしたことを共有するオンラインイベント「ワクワクシェア会」や、長野・鳥取・岩手など全国各地の高校生が自身の地元や自分が今打ちこんでいることを紹介する「チャレンジ拠点の交わり」での交流もしました。この交流会では自身の聞見が広がるばかりでなく、話すことに慣れておくことで面接の対策も兼ねていました。

考えて、考えて、考え抜く。そして答える。

私は中学の頃から近代日本文学を研究したいと考えていたため、梅田さんとの大学間比較研究も踏まえた上で推薦入試の受験校は國學院大學と慶應義塾大学の二校に決め、その上で國學院大學の書類は学校に、慶應義塾大学の書類は梅田さんに見てもらうという方針でした。そしてそれは寸分違わず予定通りに進められていたはずでした。そう、「はず」だったのです。学校で見てもらったとはいえ出願前に一度梅田さんに見てもらおうと出願の1週間半前に最終添削をお願いしたところ、全ての書類に×をくらいました。いくら文章が整っていても入試要項に書かれている「設問要求に答える」ということができていなかったからです。そうしてその文章を徹底的に突き詰めてみると、今までの雑多な文学に対する思いや研究への熱、志望理由が一本の筋となり、明確化することができたのです。何を学び、どうやって研究していくのか、それを将来にどう繋げていきたいのか、将来はそれをどうやって還元していきたいのか、その学校に惚れた真の理由は何なのか。この「考える」という作業が私をより大学進学、さらには未来に対する希望へとつなげていきました。先ほども申しましたが、梅田さんはどんな些細なことでも疑問に思えば見逃してくれない人です。だからこそ自分の中で太く、大きく、ちょっとやそっとでは崩れないような将来への道ができたのだと思います。

唯本当に直前のことで、1週間半の間、朝は8時から夜は24時まで書いては送り、添削されて返ってきたらまた書いて送るというサイクルを続け、時には1日中書き続けていたときもありました。梅田さんには真に多大なるご迷惑をお掛けしました。やっているときも重々承知していましたが、終わった今はそれ以上に身に染みて深く反省しています。それと同時に全力で向き合ってくださったことには全く頭も上がりません。この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

桜咲く

梅田さんにお会いして半年、私の元に桜が咲きました。本当に梅田さん無しにはここまで辿り着くことはできなかったと思います。ですが私は大学受験合格を目標としていたのではなく、専門的に文学を学んで将来は日本文化を多くの人に発信したいがゆえに大学入学を目指しました。梅田さんとの書類作成のときに、より確固たるものとした未来に向かって精進して参りたいと思います。

それから、ええ、やはり春の訪れには梅も桜もなくてはならないようです。