牧大我【慶應義塾大学 環境情報学部】

梅田先生との出会い

梅田先生との出会いは高校一年生の冬、授業見学に教室に入ったら風邪が流行しているのかマスク姿の人が多かった記憶がある。
どんな先生がくるのかと教室で待っていたら、茶髪でパーマで自信満々の先生が出てきた。私の中の教師像とはかけ離れている風貌だったので大変驚いた。
どんな話をしていたのかは忘れてしまったが、初めて見るタイプの先生から初めて出会う視点からの話は刺激的で、出会って数分でこの人から学びたいと強く思ったのだった。
従来の塾=頭でっかち、退屈、選民思想。しかし…
親の勧めでなんとなく塾に来たのはいいものの、そもそも受験対策の塾自体にまったく期待していなかった。むしろ、マイナスのイメージが強かった。
頭でっかちで退屈でやや体育会ノリ。その上、先生が煽るのか生徒の競争精神は下品なほど強く、間違った形の選民思想をみんなして持っているのだ。
同じクラスの塾通いの奴らはだいたいそうだった。そんなに受験勉強が偉いのかとつくづく私は思いながら、寂しく奴らを見つめていた。
塾に通う奴らの統一されたノリは、不気味で自分もそうならなくてはいけないんじゃないかという不安感を煽ってくる。事実、その不安を紛らわすために私は塾に入ったのだった。
しかし、偏見と妄想から生まれる不安と敵対心は良い意味で解消された。梅田先生は受験勉強を最終目標に置くなと口酸っぱく言う人間だったし、そこに集まる人間もいろいろな人がいたが揃って皆寛容だったのだ。
むしろ変な偏見をもっていて、寛容じゃなかったのは自分の方だったのだ。

「カチコチのアタマ」から「ヤワヤワなアタマ」に

通っていて一番よかったことは、あらゆる自分の中にある偏見がほぐれていって、視野が広くなったことだ。
中学生や高校生という時期は、もちろん頭は柔らかく吸収力があるが、一方で視野が狭くなる時期でもあると思う。
私もなぜか金髪の人とは友達になれないと思っていたし、音楽の一つも語れない奴はしょぼくれた人間だと思っていた。
学校と家庭という狭すぎるコミュニティでは、その外に広がる大きな世界に対して小さなチンケな妄想を抱くことしかできないのだ。
だからこそ、その偏見をほぐしていく場と大人の存在が必要なのだと思う。
そういった意味で梅田クラスは、最高の場だったかもしれない。
梅田先生は他の先生と比べて全く異なる広い経験と知識、それと独自の視点を持っていた。
全国有数の受験校から、大学にいかずに4年間フリーターをしていたと言っていたし、本当に生き方が変わっているのだろう。
クラスのみんなも、本当に賢い奴がいたり、すました不良みたいな奴がいたり、一つのことに情熱を燃やしてる奴がいたり、いろんな人間たちがいた。
むしろ、多種多様な人がいることよりも、そいつらの存在を認識できる授業なのが凄い。
英語の長文は四人一組で読解していくし、テストは団体戦。授業は他の生徒と交流するように設計されておりいろんな人間がいることを知ることができたのだ。
先生が前でつまらない話を喋り続けてる授業とは違った。広い世界を知ることが出来たし、さらに知ろうとする姿勢が育まれ、私はカチコチの頭から若干ヤワヤワの頭になったのだ。

「本質」が学べる

教える内容も本質的だった。英語の長文を読むために、論文自体の読み方から始めるのだ。大学受験で出題される文章はほとんど論文からの抜粋だからである。
ただの英語の羅列として上から下へと読むのではなく、筆者の主張が論理展開されていく文章として読むと正しく早く読むことができる。
英語をただ”読める”のではなく、内容が吟味できるという意味で”読める”ことを目指しているのだ。
学校は、前者のただ”読める”だけの教育だと思う。
大学受験の英語は、大学で英語の論文を読めるようになるために設けられているので、学校よりも大学の意図に即しているとも言える。
もちろん学んだ内容は、英語だけではなく日本語にも、タガログ語にさえも使えるもっと普遍的な能力だ。
私は大学の専攻で哲学に近い内容を学んでいるが、難しい文章に出会ったときは高校の時に学んだ梅田先生の論文の読み方が生きてるのだ。
日本語であれ英語であれ、全ての論文は主張とその論証の繰り返しで構成されているからだ。
卒塾後も記憶に残り続ける梅田先生の授業・・・
映画でも音楽でも旅行でも、記憶に残り続けるものはイイものだ。見ている最中に面白くない映画でも、なんだか寝る前に思い出してしまう映画が本物なのだ。
逆に、見ている時は熱狂し、次の日には忘れてしまう映画もある。
梅田先生の授業は4年前に受けたっきりだけど、今でも本当に記憶によく残っている。なので、イイ授業だと思う。