もしかしたら梅田先生にとって英語の授業とは、自分の最も伝えたいことを生徒に伝えるための手段に過ぎないのかもしれません。
あくまでもこれは私の捉え方ですが、1年間授業を受け、振り返ってみるとそう感じてしまいます。
こんなことを書けば、英語は二の次なのかとか、大事な受験をそんな先生に任せられないとか思われてしまいそうですが、それは違います。
ただ、そう捉えてしまうくらい梅田先生の授業は、ただの英語の授業ではないのです。

きっかけ

私が梅田先生に教わったのは浪人中の1年間だけ。
私のクラスは現役生が多く、先生の授業は3年目という生徒も少なくなかったです。
それでも、自分の進路や、今自分の目指しているものを考えるととても大きな影響を受けていると思います。

私は決して英語に苦手意識がある状態で先生の授業を受け始めた訳ではありませんでした。
ただ、先生が医学部受験に長く携わっていたことや、分野ごとに別々の先生が教える予備校の英語の授業に疑問を持っていたこともあり、先生の授業を受け始めました。

”過程” 〜個性×思考力×対話力〜

授業が始まってすぐに気づきましたが、自分の想像や期待は良い意味で裏切られることになりました。
端的に言えば梅田先生の授業は、受験だけを目的にしたものではありませんでした。
もちろん、授業を受けた結果得られるものには大学受験を切り抜けるためのいろはが詰まっています
ただそれだけでなく、その結果を導く”過程”の中で、先生は受験だけにとどまることのないものを教えてくれていると思います。

授業の中で先生は、対話力、思考力、そして「個性」を大切にすることを重視して欲しいと生徒に求めていました。
具体的に英語の授業の中で、英文を読んで読み方を学ぶことや、解説を聞いて知識をつけることを結果とすると、先生の授業での”過程”とは、読んだ英文を他の人と共有し深める作業です。

授業では、解いた問題の解説を聞く前にクラスの中で数人のグループに別れて、英文そのものや設問に対しての解答をディスカッションする時間が設けられます。
このディスカッションでお互いの意見の交換や、英文の中でのポイントとなる部分を把握し、それらを通して意見をまとめ、グループの意見と解答を作ります。
この時間こそ”過程”であり、授業の肝となります。

この時間の中で先生は、まず何より各々の「個性」を大切にすることを強調していました。
「個性」を大切にして自分自身の意見をしっかりと持つこと、そしてそれを他者に発信していくことがこの授業の土台となるからです。
その上でディスカッションを通じて意見を共有することで思考を深めることが出来るし、他者の意見を聞くことで自らの視野や価値観の幅も広げることができます。

授業の中で印象的だった場面があります。
夏期講習中、連日の講習でクラスの集中力が欠け始めていた授業終盤のでのことでした。
普段ならみんなが自由に発言し意見が飛び交う場面で、疲れもあり、クラス全体が投げやりなムードで意見があまり出ずにいました。
そんな雰囲気を見た先生はその授業の終わりに、

考えることを止めないで欲しい。どんどんどんどん考えて話して、意見を戦わせて欲しい。そういう作業が本当に大切だから。

とおっしゃいました。
後々英文や問題が難しくなるほど、この時先生が言っていた事が理解できるようになるのでした。

これらの「個性」、思考力、対話力を伸ばすことは難関大学に合格するために必要不可欠であり、暗記だけに頼らない英語の本質を理解する授業に繋がっていると思います。
それと同時に、この3つのことは大学受験にとどまらず、合格のその後の、大学生、社会人においてより重要性を増していくと自分自身感じています。
だからこそ先生はそれらを重視するように生徒に求め、「『個性』を持った大人になれ」と常々説いていたのだと思います。

授業を活かせるかは自分次第

そんな単なる英語の授業ではない梅田先生の授業を受けて、もちろん英語の力も伸ばす事が出来ました。
ただそれ以上に、今後より大事になるであろう対話力を身に付ける事が出来たし、1つの物事を多角的に捉えられる広い視野を持つ事が出来たと思います。
0を1にするにも、1を100にするにも過程が存在し、それら過程の一つひとつや、過程の土台となる「個性」がいかに重要で、大切にすべきかを気付く事が出来ました。

本当に楽しみなのは、君たちが大学を卒業して社会に出た後だから。」とよく先生はおっしゃっていました。
これは授業から学んだ思考力や対話力をフルに活かし、唯一無二の「個性」を創っていくことで個人の可能性は大きく広がるものだ、と私は捉えています。
海外へ進学しても考えることを止めずに、自分なりの「個性」を創り出すことを心掛けたいと感じています。