佐藤美波 慶應義塾大学[文学部]

拝啓 梅田先生

つい先週英語読解の授業でお会いしたばかりですがその後お元気でしょうか。私は高校卒業までの時間を有意義に過ごしています。好きを謳歌するために英会話をはじめ、創作を豊かにするために滑稽の研究をして、キャリア拡張のために脚本も書いています。受験後は燃え尽き症候群にでもなるのかなと心配していましたが、私の火種はなくなっていません。梅田先生のおかげです。

自己探求への転機

3年前、はじめて梅田先生の授業を受けたときのことを今でも覚えています。1時間かけて先生が自身の半生を語られたとき、どうしようもなくワクワクしました。ご存知の通り当時の私は「1位から陥落したくない」がために勉強する日々を送っていました。自分が何をやりたいかも分からずにです。でも梅田先生と出会って、「このままでは嫌だ」ということだけは分かりました。梅田先生のような強烈な個につられて、私も自分を解放したくなったのです。梅田先生のように自分だけの物語を紡いで生きてみたかった。だから私は「良い大学」ではなく、「私にとっての良い人生」を目指して授業をしてくれるBidenに入ることを決めたんです。

初めは、今まで私が歩んできた優等生コースからの〝逸脱〟がテーマでしたよね。いかに学校の勉強比重を減らして受験勉強や自分の時間を確保するか。私の性格や生い立ちを土台に、梅田先生と勉強やキャリア探究のプランを考え直しました。そんな中で、私は勉強漬けの日々で見失っていた「文章で表現をしたい」という幼少期からの想いを再確認することができました。小説を書けば梅田先生の呼びかけで読書会が開かれ、編集者や映画監督の方から書評を頂けました。創作に息詰まったら、表現の道を行くBidenの先輩と会わせて頂きました。毎月のスケジューリングも、コンクールの〆切を優先してくれましたよね。そして、勉強との両立ができているか不安なとき、梅田先生が隣で「大丈夫だよ〜」とへらへらしてくれていたことが何より心の安定剤でした(笑)。勉強に埋もれて自分を見失うことがなくなりました。そして勉強も創作も、私なりに成果を出しながら続けることができました。

合格までの道のり

こうした経験と大学比較研究の結果、私は慶應義塾大学文学部を志望しました。ここならきっと私の創作が豊かになる、そんな強い確信をもって。だから慶應一本勝負。総合型と一般入試の二刀流での挑戦でした。梅田先生オススメの参考書で勉強したり、Biden生で教え合いをしているうちに、日本史は早慶模試で偏差値78まで伸ばせました。また、継続してA判定。一般入試を盾にして、高3の秋は思い切り総合型に取り組めました。

まずは小論文対策。3年間培ってきた梅田流の「本質を見抜く」英語読解がそのまま小論文に繋がっていて感動しました。このやり方で過去問を解いていくうちに、課題文の理解を超えて慶應の考えや文学部の目指しているところまで読み取れるようになりました。入試本番は例年とは別角度からのアプローチで出題されましたが、本質が分かっていたおかげで柔軟に対応できました。そして、「自分史」をもとに作成する自己推薦書。自分史は3年間書き続け、梅田先生やBidenメンバーと対話を重ねた結果、5万字を超えていました。これを推薦書枠内600字に落とし込む過程が本当に大変でした。でも今考えると、自分について語ることが多すぎて困るって幸せなことでした。3年前の自分なら考えられないことです。5万字分の想いを伝えるために「簡潔だけど深みのある言葉は何か」、「創作に対する情熱が現れてる出来事は何か」と梅田先生と考えあぐねる時間が私は結構好きでした。最終的に「これなら落とされても構わない」と思えるものを提出できました。出会ったときの、楽しそうに自身の人生を語る梅田先生に今は近づけた気がします。

でも、入試直前はどうしても焦りや不安が募ってしまいました。目の前のことに精一杯で、なぜ自分がここまで必死こいてるのかわからなくなる瞬間がある程でした。そんな私に、梅田先生は最後の授業で「頑張れ」の代わりに、「美波さんの目指す作品のあり方は慶應の考えと合致してるから」と言ってくれました。先生は覚えてないかもしれませんが(笑)。私は、はっとさせられました。赤本の先にある自分のこれからが見えて、私が受からなくてどうするって思えました。この言葉に救われて、私は合格まで駆け抜けることができたんです。

私にとって大学受験は、合格がゴールのレースではなく、自分の歩んできた道に自信をもつためのとても大切なプロセスでした。今、ようやくスタートラインに立っています。自分の前途に、どうしようもなくワクワクしながら。

最後に

この3年間を思い返せば、自分ととことん向き合い、葛藤して、時には知恵熱なんかも出してました(笑)。周囲の人が求めてくる「佐藤さん」とありたい「私」の狭間でもがき苦しみ、狭い箱庭の壁を必死に叩いていました。それでも私は1人じゃありませんでした。

梅田先生という人が、色んな場所や人と出会わせてくれて、私の将来を面白がって、一緒に走り続けてくれました。動けなくなっている私をいつだってふわっと救ってくれたのが、梅田先生です。伴走者であり、私にとっては救世主でした。慶應合格のための知以上のことを、たくさんプレゼントして貰いました。先生がよく呟いていた「世界って自由」だということ。そしてその教えがあったからこそ見出せた、創作への想いや憧れ、私だけの絶対。

梅田先生とBidenメンバーとの3年間があるからこそ、これからも私らしく多少無理して頑張れます。その先で皆さんへの感謝も表現できたらいいです。見ていてください。そしてまた、ここは堅すぎるとか美波さんの文章は面白いとか言ってもらいますから。

では、いってきます。梅田先生、本当にありがとうございました。