石野理子【慶應義塾大学 文学部】

受験勉強に人生を捧げかけていた、高1のある夏の日

「こういう人に面白がってもらえる人間になりたい。」

高校1年生の夏休み、振替受講した梅田先生の授業で、久しぶりに胸が高鳴ったことを鮮明に覚えています。

高校受験で思うような結果を得られなかった私は、とにかくリベンジに燃え、高校3年間を受験勉強に捧げかけていました。
6:30に家を出て学校に行き、放課後はほぼ毎日塾に寄り、日付が変わる寸前に帰宅。
休日は課題を消化するためにあるようなものでした。
勉強することは苦でなかったものの、このままの生き方で幸せになれるのかという漠然とした不安に常につきまとわれていました。そんなとき出会ったのが梅田先生です。

「あなたらしさとは何?」

「なんだこの授業は?!アクティブ・ラーニングって何なのかよく分からないけれどすごく楽しい。こんなにのめり込んでしまう授業を展開しているこの先生、いったい何者?」

大変失礼な話ですが、何も期待せずにたまたま受講した私でさえ、開始たった5分で心を掴まれていました。
英語の問題には太刀打ちできても、受験のその先をどのくらい見据えているのか、
あなたらしさとは何かという問いに答えられないことを気付かされたのです。
また、アクティブ・ラーニングをきっかけに世界中で様々な教育改革が行われていることを知り、教育の奥深さに魅了されてしまいました。
しかし、衝撃的な3日間はあっという間に過ぎ、すぐさま味気のない日常に戻りました。
何とかして梅田先生の授業を受け続けたいと願うも、僻地に住んでいるため諦めざるを得ませんでした。

決死の覚悟で転校する
「普通を全うして生きることが私の幸せではない。」

相変わらずいっぱいいっぱいの生活のまま、高校2年生が始まって1週間。学校の進路指導に幻滅し、秘めていた思いが大爆発しました。

「もっと自分と向き合う時間がほしい。普通を全うして生きることが私の幸せではない。」

いきなり退学を思い立ち、荷物を全部まとめて下校しました。
当然周囲の反対も多くありましたが、理解を得るべく話し合いを繰り返し、反転授業を利用して興味を追求できる学校へ決死の覚悟で転校しました。

「国際交流」「まちづくり」等様々な挑戦。そして再会

その後は、受験勉強だけでなく国際交流やまちづくりなど、少しでも心惹かれることには迷わず挑戦していきました。がむしゃらな活動の裏には、どうしても忘れられない梅田先生に成長した自分でもう一度お会いしたいという強い思いがありました。

そろそろ活動に一旦区切りをつけて受験勉強に専念しようと考えていた頃、有り難いことにその思いを繋いでくださる方が現れ、出会いから1年半後、再会の機会に恵まれました。
私は興奮を抑えきれず、今まで自分がどう生きてきたのかをただひたすらに話し続けました。
じっくり私の話を聞いてくださる先生の姿を見て、やっと面白がってもらえる人間になれたと勝手に達成感を味わい、終電に乗りながらこれまで頑張ってきて良かったとしみじみ感じました。
そして、やはり私の個性を受け止め、伸ばしてくれるであろう梅田先生とともに大学受験を乗り越えたいと思い、2時間半かけて塾に通う生活が始まりました。

梅田先生との出会いが人生の大きな布石

生意気ですが、私にとって梅田先生は英語講師というよりも興味関心を思う存分共有できる名のない科目を教える先生です。
もちろん、夏の成績が芳しくなくて私立に絞ろうか迷っていたときには、塾講師らしい冷静なアドバイスもいただきました。
しかし、英語や小論文に留まらず多種多様な方面にアプローチされた語りは、科目の垣根を超えたものです
。梅田先生だからこそ伝えられることがあります。
無味乾燥な高校生活から脱却できたのも、教育の道に進もうと決心したのも、全てはあの3日間から始まったことのように思います。梅田先生との出会いが私の人生の大きな布石となりました。

授業については体感に勝る手記を綴ることができないと考えたため、私の高校生活に梅田先生がどのような影響を与えてくださったのかを中心にお話しいたしました。
ご高覧ありがとうございます。