今回私からは、梅田氏と出会う前、そして出会ってから今までの自分語りをしたいと思う。
細かい授業内容等に関しては、さらにフレッシュな面々に書いていただいていると思うので、そちらを参考にされたい。

これを見ている方々の中には、かつての私と同じく、世間の『常識』とやらに従い、「なんとなく周囲の流れに乗って」過ごしている人もいるかもしれない。

そんな毎日を抜け出して、自己の可能性を広げるきっかけになってもらえれば幸いである。

以下、プロフィール。

出身高校:私立武蔵高校
出身大学:早稲田大学
職業:サラリーマン。某企業のIT部門の新卒3年目。システム開発、企画などを担当。
趣味:車で走ること。サラリーマンをやりつつ、休みを駆使して様々なレースに出場したりしている。

梅田氏に出会う前

私が梅田氏に出会う前はというと、ただただなんとなく周囲の流れに乗り、「大学受験してどこ入ろうかな」などと考えていた。

そこに目的はなく、強いて言えば「大学に入学する」ことが目標になっていた。

当時の自分を擁護するなら、それも無理はないかもしれない。
私が通っていたのは都内の完全中高一貫の学校であったが、周囲は社長や医者の息子だらけであり、そんな彼らのほとんどは将来親と同じ方向に進もうとしていたからだ。
となると自然と、「将来やりたいこと=将来の職業」という凝り固まった考え方になる。

少し話はそれるが、幼少期から我々はしばしば「将来の夢」というテーマで発表を求められてきた。
ニュース等でも取り上げられたりするが、よく出てくるのは「スポーツ選手」「ケーキ屋さん」・・・。

あれ、いつの間に職業の話をしているのだろう・・・?(もちろんこれが悪いわけではないし、夢がたまたま職業の場合もある)

さて話を戻すと、一般的なサラリーマン家庭に生まれ育った私は漠然と、「大学行って就活してサラリーマンかな」と考えていた。

そして周囲の同級生の多くと同じように、大手進学塾へ入塾したのであった。

梅田氏との出会い

『最初は』梅田氏の授業を能動的に受けたわけではなかった。
当時某大手進学塾の私がいたクラスの英語(長文読解)担当が、たまたま梅田氏だったのである。

高校3年生のはじめ頃初めて授業を受けた時の衝撃は、7年以上経った今でも忘れることはできない

自己紹介から「なんだかすごい熱量の人が来たな・・・」と思っていたが、その後の「大学受験なんてくだらねーからな?!そこをゴールにするなよ、そんなつまらない人間になるなよ、超越していけよ?」との言葉。

衝撃的であった。
なぜならそこは大学受験のための進学塾だから。
そんな先生、生まれてこのかた、見たことがなかった。
そしてそんな言葉は聞いたことがなかった。

この初回授業で、「なんとなく塾に通い、受験のためだけの勉強をしてそこそこの大学に受かる」などという私の漠然とした価値観は打ち砕かれた。

やりたいことをやろう。まずはやりたいことを見つけよう

そう決心したのであった。

1年間受けた梅田氏の授業

受ける前は語学の授業なんてつまらないと思っていたが、氏の授業は面白い。
この「面白い」の感覚は、受けてみないと分からないかもしれない。

以下、無粋ながら、なぜ面白いのか私見で語らせていただく。

語学がつまらないと考えていた私だが、なぜか。
一般的な語学は、暗記とテクニックに終始する傾向があるからだと私は考えている。
そもそも「受験」を目標とした場合の最短距離はそれだと思う。

事実私が受けたことのある英語の授業は、単語や文法を復唱してテストを行ったり、長文読解にしても「いかにテクニックに当てはめて解きこなすか」というものだった。

対して梅田氏の英語の授業は、決定的にそこが違った。
基本的な単語や文法といったものは「覚えておいてね」のスタンスであった

では、授業では何を行うのか。
一言で表現するならば、出題された文章の「本質の捉え方」を教えてもらうのである。
そして、本質を捉えるために必要な考え方、その文章が書かれた社会的背景、歴史、日ごろからのアンテナの張り方を教えてくれるのだ。

これはもちろん、一朝一夕に身につくものではないし、必ずしも大学受験合格という目標に対して最短距離ではないかもしれない。
しかしながら、こういった目先の物事に束縛されない本来の「学び」は面白いのである。

「面白いだけでは意味がない、受験にも合格したいんだ」とお思いになった方のために、一つだけ自分の受験勉強的な体験を付け加えておく。

ある時私は、遊び感覚で某有名私立であるK大学の長文読解を解いた。
「本質を捉える」訓練を始めてから半年ほどだったと記憶している。
どの辺が遊び感覚かというと、長文の第一段落だけを読んで残りは目を通さず、後に続く6つの設問に回答したのだ

結果はというと、全問正解であった。
冗談のようで本当の話である。
出題の本質、出題された文章の本質、設問の本質、これらを掴めるようになると、こんなこともできる。

「本質の捉え方」に興味のある人は、ぜひ氏の授業を体験してみてほしい。

梅田氏の授業を受けて変わったこと

梅田氏の授業の本質は、「生徒たちの成績を上げること」ではなく、「生徒たちの可能性を広げること」「可能性を見つけられるようにアシストすること」だと思う。

梅田氏の授業を受けて変わったこと、一つ目は進路に対する考え方である。
「やりたいことをやろう。まずはやりたいことを見つけよう。」と決心した私であったが、長いことこれといってやりたいことは見つからなかった。
その中で両親に伝えた内容が以下である。

やりたいことが見つからない。なのでこのまま高校を卒業して社会に出ようかと思ったのだが、まだまだ学歴社会であるから、とりあえず名の知れた大学に入ろうと思う。そうすれば、いざやりたいことが見つかった時に、やれることが増えるはず。

まずはゆっくりとそれを探しながら、今興味のある分野(当時それは社会学だった)を学びたい。というわけで大学に行かせてください、あと塾に通うお金を払ってください。

今思えばなんとも身勝手で適当、社会に流されているのか流されていないのかよくわからない内容である。
しかし私が色々と悩んだことをくみ取ってくれた両親は、快くこれを了承してくれた。

私が初めて、まじめに人生を考えて出した結論であった。

今でもこの考え方はアリだと思っている。
20年も生きていないような高校生に、この先60年以上あるかもしれない人生を決めよ、というのはそもそも無理な話だからである。

ただ、やりたいことが無いからだらだらと過ごす、これ程もったいないことはないと思う。
もしまだやりたいことが見つかっていない人がいれば、こんな考え方も参考にしてほしい。

変わったこと二つ目は、自分が得た情報に対する考え方である。
梅田氏の授業を受けていた時、「『常識』を疑え」「思考せよ、なんの思考もなしに多数派に流されるな」という趣旨のことを何回も言われたのを覚えている。

学生でも社会人でも、情報収集の機会は数えきれないほどあるが、この意識があるのとないのとでは全く違う。
世の中の「正しいこと」などというものはいつでも作れるし書き換えられる。
それを鵜呑みにした人間はどうなるか。

いわゆるところの「量産型」となり、新しいことは生み出せず、思考の停止した機械になる。
私はいずれロボットに取って代わられてしまいそうな人生に価値を感じないので、いまだにこの意識を持って生活している。

さいごに

ここまで偉そうに自分語りをしてみたが、これらはあくまでも私の主観・価値観に基づいて書いたものである。
ただ、梅田氏との出会いに大きく影響されているのは確かである。

これを読んで少しでも気になるのであれば、ぜひ梅田氏の授業を受けてみていただきたい。
必ずや自分の可能性を広げる手助けになるだろう。